Nara Omiya RotaryClub

Club Weekly Bulletin 2004-2005 District 2650

No.1264(Vol.26) 2005/02/01 http://naraomiya-rc.jp

ロータリーを

祝おう

奈良大宮RC

クラブテーマ

CELEBRATE

ROTARY

大きな誇り

大きな奉仕

創立:昭和54年1月23日 例会:毎週火曜日 17:30

事務所:奈良市大宮町6丁目2−1 南都銀行大宮支店内 電話0742−33−8583

例会場:奈良市高畑町1096番地 奈良ホテル本館 電話0742−26−3300(代)

会長:高木伸夫 副会長:福本良平 幹事:冨川 悟

四つのテスト

1.真実かどうか 2.みんなに公平か 3.好意と友情を深めるか 4.みんなのためになるかどうか

第28回例会プログラム(02月01日)(通算1264回)

 

 1.開会の点鐘 17時30分
 2.ソング 「君が代・我等の生業」
 3.お客様の紹介
 4.会務報告 出席報告・ニコニコ報告・会長報告・幹事報告・委員会報告
 5.クラブ討論会 テーマ:「国際友好クラブアンケートの結果報告とシカゴ国際大会のご案内」土谷国際奉仕委員長
 6.閉会の点鐘 18時30分

第27回例会状況報告(01月25日)(通算1263回)

出席報告

R.C.は出席から

会員数

出席免除者数

出席者数

補填者数

出席率

1263回

69

18名

46名

90.20%

1261回の修正

69名

18名

47名

3名

98.04%

会長の時間

1.創立記念例会
 本日は、創立記念例会であります。26年前の1979年1月23日、奈良大宮ロータリークラブは第1回の例会を持ちました。正確にいいますと1月23日が創立記念日に当るわけですが、2日後の今日、創立記念例会日とさせて頂きました。第1回例会から算えて1263回目の例会であります。これまでに、1262回の例会がもたれたのかと思いますと感慨深いものがございます。私は、年度初めに所信の一斑を述べさせて頂きました。諸々述べさせて頂いた中で「温故知新」という言葉を使わせて頂いております。年を重ねたロータリークラブは常にこの言葉を噛み締めながら、明日への活力を引き出さなければならないと考えます。本例会は本年度における創立記念例会でありますので、どうか皆さん、先日頂戴いたしました「創立25周年記念誌」をゆっくりひもときながら、先輩達の活躍の足跡をたどって頂き、そこから我々がなすべき新しい何かを見付け出して頂ければと存じます。
2.「十七条憲法」 その3
 温故知新ということではありませんが、日本の国が産声をあげ、国の形が整いつつあった頃にできたとされる十七条憲法についてこれまで2回に亘ってお話をさせて頂きました。第4条までお話をさせて頂いたと存じます。今日はその続きをお話させて頂くことになりますが、第5条から第8条までは、第1条で語られた「和」という国家理想を実現するための実際的な規範が述べられております。長くなりますのでここでは要点だけを述べることといたします。第5条は、「公正な裁きによる統治」を規定しております。同条は、当時から賄賂を贈る人、取る官吏がおったようで、同条はこれを強く諌め、民の訴訟は公明正大に裁かれなければならないとしております。第6条は、「法による統治」を規定し、悪を懲らしめ善を勧めるのは、古くからのよいしきたりだとして、「信賞必罰」でなければならず、これがないと世の中の大乱のもととなるとしております。第7条は、「賢者による統治」を規定し、官職には適任の人−賢者−を求めて就けなければならず、人のために官職を設けたりしてはならないことをいっております。最後に第8条は、「官吏の公務への精進」を規定しております。この条文は、全文を述べておきます。現在にも通じるものがございますので興味を引くところであります。
【現代語訳】
 第八条 もろもろの官吏たちは、朝早く出仕し夕方遅く退出せよ。公の仕事には油断する暇はない。一日すべてでも終わらせがたい。だから、朝遅く出仕するならば、緊急のことに間に合わない。早く退出するならば、かならず仕事を成し遂げられなくなるだろう。

 今日は最後に第9条をみてみることといたします。この条は、十七条憲法の中心に位置し、「要」の条ともいうべきものであります。原文が分り易い文章ですので原文を読ませて頂きます。
【原文】
 「九に曰く、信はこれ義の本なり。事ごとに信あるべし。それを善悪成敗はかならず信にあり。群臣ともに信あるときは、何事か成らざらん。群臣信なきときは、万事ことごとくに敗れん。」
私は、この第9条を読みますと、我が国の民法第1条2項の「権利の行使及び義務の履行は信義に従ひ誠実に之を為すことを要す」という条文に思いをいたすことになります。これは「信義誠実の原則」といわれるもので民法典の根本理念であります。私には、十七条憲法第9条が現代にまで脈々と生き続けていることに感嘆せざるを得ないのであります。

卓話

「輝くために生まれてきたのだから」

NPO法人 夢街道・国際交流子ども館 代表 比嘉昇氏

 

 私は四年前、二名中学校の校長を最後に退職し、その退職金で京都府加茂町の自宅裏に「NPO法人夢街道・国際交流子ども館」を設立しました。不登校の子供たちをお預かりしていますが、自治体による支援は無く、全国の皆様の浄財で助けていただいています。「夢街道」には子供たちと一緒に夢を紡いでいけたらという思いを、「国際交流」には私が北京日本人学校に勤務した時の経験から世界に通用する子供たちを育てたいという願いを込めて名付けました。
 なぜ私がこのようなことを始めたか、私が出会った子供たちの話を通じてお話ししたいと思います。私は長い教員生活の中で、二人の子供を殺してしまったと思っています。A君は名阪国道でオートバイを飛ばして大型トラックと衝突し、即死でした。私は彼が小学校一年生の時に担任しましたが、A君の父親は失業中で、母親が深夜まで皿洗いの仕事で子供3人を育てていました。二年生になると九九を習いますが、短期間で覚えるには家庭で助けてもらわないと無理です。クラスではA君だけがどうしても出来ません。同じ班の子たちが助けてくれて、ついに彼がクリアできた時は給食の牛乳で乾杯してみんなで喜びました。かつて九九は三年生で半年かけて習いましたが、現在は二年生後半のわずか三ヶ月ほどです。わかる子はわかればよい、わからない子はわからないでよい、という大きな流れの中、家庭が崩壊したり行き詰まると一番苦しいのはいつの時代も子供です。その一人がA君でした。数年後、A君はわずか16、7歳で命を散らしてしまいます。茶髪にしたことを母親に咎められ、そのまま家を飛び出し事故にあったのです。家の中が子供の居場所じゃなかったら、子供にとって家ほど辛いものはありません。私は何も助けてやれなかった自分を悔しく思いました。たかが茶髪です。それを母親に咎められた。しかし自分の学力が低い中、何かで自分を主張しようと思ったら、茶髪なり何なりで表現し、わかってもらいたかったでしょう。彼を受け止めてやれなかったのは自分の不十分さだと思っています。
 B君は二名中学校の生徒でした。私が校長として赴任した年の六月、放課後にミニバイクで二人乗りしていた生徒が事故に遭い、運転者は重症、後ろに乗っていたのがB君です。連絡を受けた私は出張先から病院にかけつけましたが、B君の意識はすでになく、七月に入ってすぐ14歳で亡くなりました。私が赴任した時の二名中学はガラスが割れ、校舎の至る所がボコボコでした。学校が荒れるということは、生徒の心が荒れるということです。心が荒れると物へ向かいます。しかし、物やガラスは壊れても元に戻せます。戻らないのは子供の命です。長い教員生活の中で何が辛かったといいますと、子供の命を生かしきれなかったことです。特にB君は、14歳までしか命をまっとうさせてやれませんでした。
 今から七年ほど前、二名中学では対教師暴力で生徒3人逮捕、3人補導という事件があり、マスコミでも報道されました。子どもが先生に手を出したのは悪いことです。しかし原因があります。その底にあったのは子どもたちの「勉強がわからない」「ついていけない」という低学力です。亡くなったB君も、お姉さんが重度の障害者で家が大変でした。彼は国立大附属小学校に行っていましたが、そのまま進学できず、屈折と諸々を引っさげて地元の中学に入学したのです。彼の行動の背景にあるものは家の中のしんどさでした。子供が存分に甘えられ、本音で生活できる空間が家にあれば、子供は復元力が豊かですから元に戻ります。しかし、家にいたくない、いられないとどうしても夜に徘徊し、昼夜が逆転します。また小学生の間の学力差はそんなに目立ちませんし担任も一人ですが、中学校では全教科担任が違います。特に二名中学は長い間偏差値で奈良県一、奈良の学習院と呼ばれたほど文武両方に秀でた地域です。その中で勉強が出来ない子に授業は拷問です。わからない授業に一時間座らなければならない。辛い。だから廊下に出る。先生たちに注意される。でも意地があるから教室に入らない。そこですったもんだということが事件の発端でした。残念ながら当時の校長先生が学校から警察に電話してしまったのです。子供にとって、それは一番ふさわしくない結果になったと思います。当事者の生徒だけでなく、まわりの無関係の生徒までが教師不信、学校不信になってしまったのです。私が赴任した時は、先生方が朝から晩まで生徒指導に追われまくっていました。
 この事件の中心になった子供たちの両親は離婚していました。C君も両親が離婚し、ホテルマンの父親と暮らしていました。C君が校長室に来て、私に「おい校長、弁当食わせ」と、私の弁当を取り上げたことがあります。彼の弁当は80歳を過ぎた祖母が作っていますが、中を見て驚きました。おかずはたらこ1匹だけです。食べ盛りの男の子がそれで持つわけがありません。このC君が二学期の始業式に見事なスタイルで現われました。頭の色が、毒キノコみたいに総ピンクなのです。一悶着の後で彼を体育館に入れると、意気揚揚と真中を歩いて自分の場所に行きました。馬鹿らしい形ですが、自分を認めて欲しい、わかって欲しいという切ない表現でした。しかしC君には不幸が続きます。C君の将来を案じていた父親が、私たちと色々話し合っていた最中、癌で亡くなってしまったのです。お葬式で、C君は14歳の喪主でした。彼が荒れた原因も、結局は両親の離婚だったのです。
 E君の場合も両親が離婚し、母親が新聞配達で生活を支えていました。私が赴任した年、あれだけ荒れていても奈良高校へ一割以上が進学する二名中学で、やんちゃくれのE君たった一人が就職です。卒業式一週間前に校長室に呼び、「卒業したらどうするねん」と聞くと、「就職や。親父の水道の手伝いするねん」と答えました。「別れた親父の所に行ったら何か具合悪いんか、おかんの了解ももろてるで」。そう言った彼に、私は自分の話をしました。「俺はお前の年に家出してん。家が貧乏やったから一人だけ高校行かしてもらうの悪いと思って、中学の卒業証書持って横浜から大阪に家出してきたんや、あのまま勤めてたら今はガラス屋のおっさんやな」。そしたらE君は「先生えらい出世やんけ」と言ってくれました。私は、長い人生色々あるけど諦めたらあかんで、と理屈ではなく励ましたかったのです。卒業式当日、校長として私自身のこの話も含めてお祝いの言葉を終えた時、式場から拍手が起きました。なんと、やんちゃ坊主たちが拍手をしたので、周りが一斉に拍手をしたというのです。卒業証書を渡す際に私は全員と握手しますが、E君だけは両手で私の手を握り、なかなか壇上を下りようとしません。大暴れで先生方に迷惑をかけたE君とは思えない大変身を遂げ、とても清々しい表情でした。荒れまくっていた生徒たちが心を落ち着かせ、いい卒業式になりました。翌年の2年目も3年目もいい卒業式が出来ましたが、それは必死で支えてくれたPTAのお陰です。大阪市助役で弁護士の大平光代さんの講演会も開催してくれて、その時はやんちゃ坊主たちも話をちゃんと聞きました。本当に自分で生き抜いている真実のものに出会うとわかるのです。彼らを仕切れないのは指導力のなさ、我々教員の至らなさだったと痛切に思います。子供が突きつける問題は、本当は大人社会の力の無さです。大人自身が生きていくのに必死ですから、子供に丁寧に接し、子供を慈しむ余裕がないのだと思います。教員も保護者もそうです。子供の悲鳴、SOSは、ありのままの自分を見て欲しい、学力ではなく自分は自分なんだというサインだと思います。ただ「ああしろ、こうしろ」「あれが悪い、誰が悪い」と言っても子供は納得できません。
 子供たちを十分支えてやれなかったという私の悔いの一つが、不登校の問題です。二名中学でも何人もの保護者から相談を受けましたが、あの大荒れの中で、不登校の生徒たちには何もしてやれませんでした。現在、日本全国で小中学校合わせて14万人前後が不登校です。その中で私は何が出来るかということを考え、今の施設を設立しました。不登校の子供たちをメインに、小学生から高校二年生まで10人から15人預かっていますが、大半は奈良の子です。学校へ行けないのは、けして子供のせいではありません。単純に言えば、親子の情緒のもつれです。親御さんが変わらなければ子供は変わりません。不登校の子供を抱えているお母さんの指導が大変です。でも一方で、お母さんを支えるはずのお父さんも仕事に必死でその余裕がありません。日本中ゆとりがない中で突っ走っているようです。 
どんな小さなことでも、子供を慈しむという思いを少しずつ少しずつご両親にも伝え、周囲の人にも伝える中、お陰様で一番初めの中三2人は高二になりました。去年中三だった4人も学校へ進学しました。今いる3人の中三女子の進路も色んな形で考えています。
 小さな子ども館ですが、一人一人かけがえのない命を預かっています。皆様のご支援をいただければ本当に嬉しく思います。

会長・幹事・委員会報告

会長報告
 東京恵比寿ロータリークラブの会員でいらっしゃる司葉子さんが名古屋の名鉄ホールでこの1月2日から26日まで「おんなたちの同窓会」という演目で新春特別公演に出演されております。そこで、東京恵比寿ロータリークラブからのお誘いがありまして、友好を深めるため、1月23日(日)に両クラブが司さんの舞台を観る機会を持つこととなり、奈良大宮ロータリークラブからも13名の会員家族が仲間入りをさせてもらってまいりました。観劇もさることながら、観劇後、司さんも参加された懇親会は大変楽しいものとなり、両クラブの親交を深めるよい機会となりました。これからも、こうした機会をとらえて友好の絆を深めてゆきたいと存じます。

大きな写真をたくさん見たい方はこちら

幹事報告
例会臨時変更及び休会のお知らせ
橿原ロータリークラブ
《例会変更》
日時:2月25日(金)16:30〜17:15 ロータリー100周年記念例会

 17:15〜20:30 RI第2650地区ロータリー100周年記念 “ロータリーの森”誕生記念祝賀会
場所:橿原ロイヤルホテル2F「ロイヤルホール」
◎ビジター受付を行います。(ビジターフィー5,000円)
東大阪中央ロータリークラブ
《例会変更》
日時:2月21日(月)17:30〜 ロータリー100周年記念例会
場所:都ホテル大阪4F 大和の間(西)
◎ビジター受付は、2月21日(月)12:00〜12:30まで、都ホテル大阪3Fクローク前で行います。

 

事務局ビル名称変更のお知らせ

京都洛中ロータリークラブ・京都中ロータリークラブ・京都モーニングロータリークラブ
 2005年4月1日(金)より下記の通り事務局ビル名称変更いたしますので会員の皆様及び、諸々の変更をお願い申し上げます。
新事務局ビル名

ヤサカ河原町ビル(3月31日(木)まで京都ホテルアネックス)
〒604-0924 京都市中京区河原町二条南入 ヤサカ河原町ビル4F
変更日:2005年4月1日(金)より 尚、住所、TEL、FAX等変更ございません。

ニコニコ箱 本日計40,000円 累計1,775,000円

(高木伸夫君)
 本日は、26周年記念例会であります。奈良大宮ロータリークラブの益々の発展を祈念いたします。
(中井一男君)
 創立26周年を祝してニコニコ。
(北神徳明君)
 比嘉先生、本日の卓話ありがとうございます。
(田村俊明君)
 1月も何とか健康に過ごせたことを感謝して。
(山本尚永君)
 ちょっといいことがあったのでニコニコ協力。
(渡辺英孝君)
 結婚記念日のオンシジームというお花ありがとうございました。34年目になります。
(日吉晴雄君)
 先日結婚記念日にお花をいただきありがとうございました。
(坂本高彦君)
 結婚記念日のお祝いに感謝して。
(楠下重郎君)
 還暦の誕生日、感慨深いものがあります。ニコニコいたします。
(徳矢和士郎君)
 今年1月5日で51歳になりました。お祝いをしていただき、ありがとうございます。
(飯田二昭君)(箸尾文雄君)
 誕生日を祝っていただきありがとうございます。

本日のお客様 増田孝雄君 (奈良RC)  下出雅章君(奈良RC)

ロータリー豆知識 -2004年規定審議会で採択された主な決議案-

11.最低40クラブあれば地区を形成する。

次週の例会2月8日は休会

次次週例会 2月15日 卓話「平城京の復元」 奈良文化財研究所 所長 町田章氏

会報・IT委員会 潮田悦男、高辻良成、藤井正勝、向井 毅、西田考作、小池恭弘、谷口善之、矢野正美