7/19 ガバナー訪問

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国際ロータリー第2650地区
2016-2017年度ガバナー 刀根 荘兵衛 様
ガバナーアドレス
 

ガバナーアドレス

 ただいまご紹介いただきました本年度ガバナーを拝命しております、敦賀ロータリークラブの刀根荘兵衛でございます。本日は公式訪問ということで、奈良大宮ロータリークラブ様を訪問させていただきました。奈良大宮クラブ様は、一昨年度北河原パストガバナーを輩出されました、大変優秀な素晴らしいクラブでございます。そういった素晴らしいクラブ様を訪問させていただきまして、アドレスをさせていただく機会を与えていただきましたこと、心から感謝いたしております。
 それでは最初に、RI会長ジョン・ジャーム氏のプロフィールと、会長テーマについてご説明申し上げたいと思います。ジョン・ジャーム会長は、1976年アメリカテネシー州のチャタヌーガロータリークラブにご入会されました。
 今年でロータリー歴は40年を迎えられ、年齢は本年で77歳です。ジョン・ジャーム会長は、青年時代大変苦労が多かったとお聞きしております。ご両親は、大学の授業料を支払うことができなかったということでございまして、職業訓練校に通った後、機械工場或いは大学の寮の食堂で働きながら、テネシー州州立大学に通われたそうです。その後大学を卒業され、アメリカ空軍に入隊され、ただちに大尉まで昇進されたそうです。やがて4年の軍役が終わり、古里にありますエンジニアリングの会社に就職されます。そこで持ち前のバイタリティーと素晴らしい才能を開花されまして、入社後わずか10年で会社の会長兼CEOになられました。また会社経営の他にも様々な社会的な活動にも携わっておられ、例えば大学に入ることができない学生に、奨学金を支給するプログラムに力を入れられております。ロータリー歴はRIの副会長、理事、財団管理委員、規定審議会の議長など数々の要職をご歴任されておられます。
 特にポリオの撲滅に関しましては、2億ドルのチャレンジ委員長をされまして、目標をはるかに超える2億2千8百7十万ドルの募金を集められた実績は、大変特筆すべきものがございます。またポリオに関しましては、ジョン・ジャーム会長のお父様がポリオ患者のお一人であったということもございまして、非常に強い思い入れがあるプログラムとなっているようです。今年の1月に行われました国際協議会の最終日の閉会本会議におきまして、ジョン・ジャーム会長は涙で言葉を詰まらせながら、ご自身のポリオのエピソードをお話しになられましたことが、今でも印象深く残っております。ジョン・ジャーム会長がまだ子供の頃、お父様とお兄様が釣りに出掛けられました。その時突然お父様が歩けなくなったそうです。お父様は成人してからポリオに感染したということで、お医者様から二度と立ち上がることはできないと宣告を受けたそうですが、お父様は必死のリハビリを行われまして、何とか足を引きずりながらでも歩けるようになられました。ポリオに打ち勝つのだというお父様の必死のリハビリの姿を見て、ジョン・ジャーム会長はポリオの撲滅を心に誓ったということです。そういった頑固なところがお父様譲りだというお話でございました。
 またジョン・ジャーム会長は、ご自身の最も大切な価値観と致しまして、インテグリティという言葉をおっしゃっておられます。このインテグリティという言葉は、日本語で高潔性と訳されております。もう少し詳しく申し上げますと、誠実でぶれないということになります。ジョン・ジャーム会長のご婦人のジュディさんは、インテグリティという言葉は、誰も見ていない時に正しいことをすることだとおっしゃっておられます。つまり倫理的で原理原則がしっかりしていて、強い者から言われたからといって自分の立場を変えたり、自分の利益になるからといって、いい加減なウソをつかないということだと思います。このように誠実で、そして約束を守りぬく強い精神をお持ちの、今年度のジョン・ジャーム会長のリーダーシップに、我々は大いに期待したいと考えております。
さて、素晴らしいジョン・ジャーム会長の今年度のRI会長テーマですが、既にご承知のとおり、ロータリー サーヴィング ヒューマニティ、日本語で、人類に奉仕するロータリーでございます。このロータリー サーヴィング ヒューマニティは、たいへんシンプルな言葉でございますが、ロータリーの本質を表す言葉としてテーマに選ばれたそうです。ロータリーは創立当初からサービス、奉仕ということを目的としております。また特にそれは人に対する奉仕、人類に対する奉仕ということでございまして、このサービスがロータリー運動の本質ということです。現在ロータリーは110年を経まして、常に変革を遂げながら、時代の変化に対応し、前進しているわけですが、ロータリアンをロータリアンたらしめている神髄は、奉仕だとジョン・ジャーム会長は強調されておられます。ところでポール・ハリスは、かつて人生の最大の目的は人に奉仕すること、と述べられたということです。このポール・ハリスのロータリーの奉仕に対する期待を継承し、このような人に対する奉仕を行っていくという責務が我々にある、ということでこのテーマに決められたそうです。そしてこのテーマを達成するためには、誠実性、多様性、寛容、友情、平和を信じ、意欲と思いやりと知恵にあふれた人が必要であり、また多様性のある人々が、皆入会し、活動したいと感じる柔軟性のあるクラブになってほしいと訴えられております。そして何よりも120万人の全世界のロータリアンが一つのチーム、ロータリーチムとして一丸となって、このテーマの実践に邁進していただきたいということです。さらにテーマを実践するために、お一人お一人のロータリアンが毎日1回何か一ついいことを行うこと、それを心掛けてほしいとジョン・ジャーム会長は強調されます。たったこれだけのことかもしれませんが、これが私たちのロータリーにいる理由であり、私たちがまずなすべきことなのだということです。そして最善を尽くして人類に奉仕し、できる限り多くの人々の人生をよりよくすることが私たちの役割です。そのようなことでこのロータリー サーヴィング ヒューマニティのスピーチを締めくくられました。
 次に、このRI会長のテーマに基づきまして、地区のスローガンのご説明を申し上げます。ジョン・ジャーム会長はロータリーの本質はサービス、奉仕だとおっしゃっておられます。私はロータリーの本質であるサービスということをもう一度振り返り、日本のロータリーの進むべき道を皆さんとともに考えていきたいと思います。ロータリーはもう曲がり角に来ている、ロータリーはどこに行くのか、という言葉が交わされるようになりましてから、何年経ったでしょうか。私たちはここ十数年ばかり毎年同じ言葉を繰り返しているような気がいたします。しかしふと気が付きますと、いつの間にか既に大きな曲がり角を通り過ぎたような気がいたします。かつてガバナーエレクトがガバナー教育を受けます国際協議会の入り口には、入りて学び出でて奉仕せよ、という言葉が掲げられていました。この言葉は1947〜1948年度の会長のケン・ガンジーによって作られた言葉ですが、同じ年の1947年の国際協議会からこの言葉が会場に掲げられております。この言葉は実はロータリー運動の基本を表す言葉でもあるわけございます。現在、国際協議会でこの言葉は掲示されておりませんが、私はこの入りて学び出でて奉仕せよ、という言葉は、ロータリー運動の実態を実に見事に表している言葉だと考えております。世の中のあらゆる優良な職業から選ばれた人たちが、原則的に毎週開催される例会に集い、例会の場で事業経営の在り方を学び、友情を深め、自己研鑽を計り、その結果として奉仕の心が育まれていきます。そして例会で高められた奉仕の心をもって、それぞれの家庭、職業、地域社会に入り奉仕活動を実践いたします。これが理想とされるロータリーライフでございます。米山梅吉氏はかつて、ロータリーの例会は人生の道場であると語ったといわれておりますが、まさにこのことを言っていると思います。また同じような意味だと思いますが、かつて国際ロータリーが、ロータリアンにロータリーとは何かの認識を深めていただくために、ロータリー真の姿委員会を設置いたしまして、検討を重ねたことがございました。その結果ロータリーの真の姿とは、E、S、S、という言葉で表わされるという結論に達したそうです。つまりEはエンジョイ、楽しいということです。毎週の例会で、地域の職業を代表する会員同士が信頼感を高めながら心から楽しむ。次のSはスタディ、学ぶということです。ロータリーから人生哲学、職業倫理を学び、自己研鑽し人間性を高めていく。最後のSはサービス、奉仕するということです。思いやりの心で、人のお役に立つ行動というロータリーの奉仕をごく自然に自分の生活の中に生かし、世のため人のために尽くすということでございます。このE、S、S、がロータリーの真の姿であり、ロータリアンがお互いに磨きあい、楽しみ、学び、奉仕することが人間の真の満足を満たすことだと思います。そしてこのような素晴らしい120万人のロータリアンの輪の結集が、世界的な紛争の抑止力となり、結果的に国際理解、親善平和を推進することになるのではないかと考えております。
 ところで、元来ロータリーの奉仕理念といいますのは、高度な哲学、宗教から出発したものではありません。人間が本来生まれながらに持っている目に見えない精神、すなわち人のために何か役に立ちたいという心を発掘し、育んでいくものでございます。これがロータリーの生命力であり、また原点でもあるわけでございます。1974年〜1975年度のRI会長のウィリアム・ロビンズさんは、ロータリーの第一の仕事は人を作ることだと述べております。またウィリアム・ロビンズ会長がはじめて日本を訪問された時に、さらに詳しく次のように説明されております。ロータリークラブの真価は、いかほどの金銭を集めたか、いかほどの計画を実践したかではなく、そのクラブがいかなるロータリアンの人作りをしたかということに尽きる。金品を社会に寄贈して奉仕するのはロータリーの本義ではない。奉仕する人を育成して社会に寄贈するのがロータリーである、と言っておられます。実に味わい深い一文ではないでしょうか。私たちは長年にわたりまして、超我の奉仕と、最もよく奉仕する者、最も多く報いられる、この二つを公式標語としましてロータリー精神の基本としてまいりました。そのモットーは自分の事を後回しにして、人のために役立ったことをしようという人間の善意は、実は自分のためにもなるということを示しています。このことを体験的に信じている世界的中の集いがロータリー、奉仕の理想とはこのようなことを指していると思います。ロータリーの素晴らしさはロータリーの例会にあります。ロータリーを引き続いて発展させるには、ロータリーのもっとも重要なメリットであります、各クラブの例会を充実させる以外にないわけでございます。そして会員一人一人がロータ―リー、この素晴らしきものを知り、体得することであると考えております。私はこういったロータリーの基本精神は今日でも変わることはないと思いますし、また変えてはいけないものだと信じております。このような原点に立ちまして、私たちはこれからのあるべきロータリーの姿をもう一度見つめ直し、今を刷新、リニューする必要があるのではないでしょうか。もうすぐ100年を迎えようとする日本のロータリーでございます。私たちは今一度ロータリーのあるべき姿を思い描き、夢を語り、未来を見つめ、高い理想をそこに求め、そこから今を創造する、刷新する、リニューすることが求められていると思います。2016〜2017年度は、ロータリーの未来を皆様とともに考える一年にできればと想い、地区のスローガンを次のようにさせていただきました。
 夢を語り、現在を刷新、来し方を顧み、行く先を見つめ、理想の未来を思い描き、今ここ(現在)を見直し、刷新しましょう、すばらしい未来を創るために、でございます。
 ところで、能の世界に大変有名な世阿弥という方がおられます。この世阿弥が晩年60歳を過ぎたころに描かれた著書に、花鏡という本がございます。その中に大変有名な一節であります、初心忘るべからずという言葉があります。
 世阿弥にとりましてこの初心といいますのは、新しい事態に直面した時の対処方法、すなわち試練を乗り越える時の考え方を意味しております。つまり人生試練の時に、どうやってその試練を乗り越えていたのかという経験、初心を忘れるなということでございます。私はロータリー運動もこの初心を忘れてはならないと考えております。またこの初心の初という文字は分解いたしますと、衣へんに刀という字を書きます。これは長年使った着物にハサミを入れて、仕立て直しをするということ、或いはまたハサミを入れる勇気を表しているということです。例え今までどんなに優秀な素晴らしい成功があったとしましても、それがいつか陳腐化するものでございます。それを変更し仕立て直しをする、つまり今までと違う仕事、違うやり方をする必要があるという意味があるようでございます。ニーズに合ったロータリーらしい奉仕活動は何か、素晴らしいロータリアンを育てるためにはどうあるべきか、またロータリー運動の根底にありますクラブの会員の友情、友愛を深めるためにはどうすればよいのか、様々な変えるべき課題があるのではないでしょうか。基本理念をしっかり持ちながら常に新しい時代、歴史は今日から始まるんだという気持ちとバイタリティーがなければ、これからの変革の時代を生き延びていけないと考えております。
 最後に、ロータリーの奉仕の本質を見事に語ってくれるお話をご紹介させていただきまして、私のアドレスを終えたいと思います。佐藤千壽パストガバナーが、ご講演でお話しされた驚くべき事例についてのお話でございます。奉仕といいますと時間とお金に余裕のある者が、その余裕を割いて人に分ち与えるもの、或いは余裕がなくてもとにかく自分の持っている時間とお金を少し切りつめて、これを他人や社会にささげることだと考える方が多いようでございます。実際にはロータリアンがやっている奉仕は、そういった範疇に入るのかもしれません。しかしもっと徹底的に掘り下げて考えますと、奉仕というのはそのようなことにとどまらず、それよりはるかに奥が深い、そして人間が人間として生きるための不可欠な道なのではないでしょうか。人生を生きるということの意義を考えますと、生き方それ自体の中に奉仕があるということを発見することになります。結論的に言いますと、立派な生き方をするということは、それがそのまま立派な奉仕であります。
 細田道子さんという重度脳性小児麻痺の患者さんのお話でございます。生まれた時から左手は全然効かず、右手もほとんど思うようにならず、動かそうとすると、自分の意思に反して勝手な方向に動いてしまうという重度障がい者でございます。しかも乱視という障害もございます。しかし生きるということは厳しい、その厳しさに耐え、乗り越えた者だけが、生きる喜びを知るという言葉に鞭打たれて、手術をすること15回、そしてようやく車いすの生活ながら、自分の足で針に糸を通して刺繍をしたり、絵を描いたり、レコードをかけて聴いたりできるようになりました。もちろん全部足先の仕事でございます。お化粧も足の指を巧妙に使って自分一人でできるといいます。それでも大勢の人の助けを借りなければ、生きていけないということでございます。だから彼女はようやく使える右の中指一本で電動タイプを動かして、このように書いています。願い、一人でトイレに行けますように、そしたら私はすべてに積極的になるでしょう。そして第一にすることは恋人を探すこと、それから一人で旅をしたい、一人で暮らしたい。前置きが長くなりました。申し上げたいのはこれから先の話でございます。こういう身体障がい者のための身障友の会という組織がございまして、この人たちが彼女をインドに連れ出したわけでございます。
 それこそ車いすの旅行でございまして、あと大勢の付添人がいるわけでございます。そこまでして何故と問われるでしょう。日常生活で人の世話にならなければならない人、そういう人の人生でも、人の役に立つことができるということを証明するためであった思います。その彼女がインドのアグラの救済センターを訪れました。そしてテーブルの上に座って必死になって折り鶴を折って見せたのです。手足の不自由な大勢の患者や浮浪児のような沢山の子どもたちが、息をのんで見守っていました。そしてかなりの時間をかけて見事な折鶴が出来上がると、「ほーっ」と深いため息がもれ、感動の拍手が沸き起こりました。
 そしてここに一つの奇跡が現れたのです。報告者の話によりますと、指がないとか指が伸びないとか、いつも自分の努力を忘れて、人に訴えることばかりであった私たちはとても恥ずかしい、と患者たちが職員に語ったといいます。恥ずかしいなどという言葉は初めて聞くもので、職員からすると本当に奇跡です。食事がまずいとか足らないとか、不平ばかりを言っていた少年たちまでもが、僕たちはこうして食べさしてもらうばかりで、何もしなくていいのでしょうかと訴えたというものです。富める者が貧しいものに恵むことは当たり前という思想が徹底しているインドで、このような言葉が聞かれるということは、これが奇跡でなくて何でありましょうか。
 ここで私たちがやっているロータリーの奉仕活動について考えてみましょう。
 ロータリーの国際奉仕などの最終的に目指すものは、相手国の自力更生、独立独歩であります。ですから相手国のクラブが労力と金銭を最大限捧ぐ、なおかつ及ばないところを我々が援助する、わずかの不足で自力更生の志がなしぼんでしまわないように、というのが本筋ではないでしょうか。しかし現実には必ずしもそうとばかりは言いきれないのでございます。我々の方にも、ただ乞われるがままお金や機材を寄付して終わり、とする安易な態度がありはしないでしょうか。そして我々が奉仕だと思っていても、それはいたずらに相手方の物をもらいたがる卑しい心を助長するに過ぎない、という結果に終わることがあります。こういうことを考えた時に、細田道子さんという身体障がい者の折鶴と、我々が行った寄付或いは奉仕と、どちらが奉仕という点で重みを持っているでしょうか。本当の奉仕とは何なのか、奉仕の人生的意義はいかにあるのか、そういう問題を提起している貴重な一例ではないかと思います。
 今一度、私たちはロータリーの奉仕の原点に立ち返り、これからのロータリーがどうあるべきか、どうありうるのかを考える時期が来たのではないでしょうか。ロータリーにおける自己研鑽の効果が、社会的に高い評価を受け、また行っている奉仕活動が、正鵠を射たものであれば自然と人が集まってまいります。要するにロータリーに魅力があれば、ロータリーは自然と発展するものと考えております。皆様のクラブが、21世紀のロータリーの新しい夢に向かってさらに大きく発展することを祈念申し上げまして、私のアドレスを終わらせていただきます。ご静聴有り難うございました。
 

米山奨学生 李 賢美さん 米山奨学生京都祇園祭体験会報告
米山奨学生

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